水産物流通情報誌― 全水卸 VOL.402試し読み
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[糸満の水産業]平和記念公園◇糸満市の概要沖縄本島の最南端に位置する糸満市は、古くからその名を知られる海人(ウミンチュ=漁師)のまちです。古(いにしえ)の旧暦文化が今も色濃く残るこのエリアは沖縄の中でも特に独特で、ゆったりとした時間が流れます。かつて首里王府時代の琉球の産業は農業が中心であり、例えば、近世最大の政治家の一人である具志頭親方蔡温(1682-1761)は、数々の農業・林業政策を行なったことで知られていますが、蔡温が記した「農務帳」などの史料には、首里王府が勧農政策を積極的に推し進める記述は数多くある一方、漁業を政策として勧めた記述は見当たりません。そうした中にあって、例外的に糸満では漁業が盛んに行われていました。首里王府時代の糸満は、フカ釣・イカ釣漁業(沖合漁業)を中心として、その他に採貝・採藻を目的とした沿岸の潜水漁業を行うなど、当時としては極めて珍しい専業漁業者が存在していました。現在、糸満漁業の基幹基地である糸満漁港は沖縄県内唯一の第三種漁港として指定され、県内の漁船ばかりか県外の漁船も受け入れています。主に水揚げされるのは延縄漁やパヤオ漁(曳き縄釣り)によるマグロやイカ、カジキ、シーラなどで、旧正月には港中の漁船が色鮮やかな大漁旗を掲げ、その年の大漁を祈願するその光景は圧巻です。沖縄県漁連は那覇市の泊漁港で昭和55年より42年間にわたり市場業務を行ってきましたが、施設の老朽化、衛生問題、安全・安心を求める消費者ニーズの高まりに対応するため、平成12年頃から移転計画が持ち上がり、令和4年10月に糸満漁港で県内初の高度衛生管理型荷捌施設である沖縄県水産公社地方卸売市場(イマユイ市場)に移転・開場、消費者が求める新鮮で高品質な魚介類の供給拠点として、更なる水産業振興に向け取り組んでいます。[ポルトガルガキの養殖]水温の高い沖縄でカキの養殖は難しいと思われていましたが、沖縄に自生する県外とは異なるカキの養殖が糸満市で始まっており新たな特産品として期待されています。養殖が始まったのは温暖な気候にも適応した「ポルトガルガキ」と呼ばれる種類で、県外産の「マガキ」が冬から春にかけて旬となるのに対し夏に食べ頃を迎えます。小ぶりな身に甘みが凝縮しているのが特徴で、沖縄では県内各地の海域で自生しているのが確認されていましたが、糸満漁協の漁業者が沖縄水産高校や琉球大学と協力しながら7年前から養殖に取り組み、昨年は約100kgの生産量、今年は500kgから1tの生産を目指しています。[糸満ハーレー]沖縄のハーリー(ハーリー)は豊漁と海上安全を祈願する船漕ぎ競争の行事です。競漕に用いる船を爬竜船(はりゅうせん)と呼び、琉球王国時代には来琉した冊封使をもてなすため首里城下の龍潭池でも催されていたそうです。糸満ハーレーは漁業のまち・糸満を代表する行事として500年の歴史を持ち、今も盛大に行われます。ハーレーの当日は早朝に山巓毛で行われる神人たちの御願から始まり、糸満漁港で「西村」「中村」「新島」の3つの集落が対抗して行われます。ハーレー舟にはそれぞれ漕ぎ手10人、舵取り1人、鉦打ち1人の12人が乗り込んで勇壮に漕ぎ進み、集落の名誉をかけて覇を競います。糸満市は本島最南端に位置し、嘗て沿岸部の漁民は「サバニ」と呼ばれるくり舟で南洋各地まで出漁した糸満海人で知られるほか、内陸部では畑作を中心とした農業畜産も盛んな地域です。また、各地域には旧暦文化に根差した各種の伝統行事も数多く残るとともに、沖縄戦の激戦地であった事から多くの戦跡も存在しています。 (イマユイ市場の全景)(旧正月の糸満漁港)(清潔な取り引き場)(沖縄県HPより)美々ビーチいとまん糸満ハーレーひめゆりの塔140沖縄県水産公社地方卸売市場(イマユイ市場)(沖縄県糸満市)市場のある都市市場のある都市

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