水産物流通情報誌― 全水卸 VOL.404試し読み
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[敦賀市の水産業]氣比神宮◇敦賀市はどんなまち本年3月16日、ついに北陸新幹線は東京から敦賀までが一本に繋がり、東京までの所要時間が3時間8分となった福井県敦賀市。同市は福井県の中央に位置し、北東は南越前市、西は美浜町、東は滋賀県長浜市、南は高島市と接します。若狭湾に大きく張り出た敦賀半島と54kmに及ぶ海岸線は敦賀湾を日本海の風や波浪から防ぎ、天然の良港となっていて、古くから我が国の各地域とアジア大陸を結ぶ交易拠点として栄えてきました。江戸中期以降は西廻り航路の発達によって、北国と京都・大阪との交流が盛んになるにつれ、敦賀港は北前貿易の中継基地として、蝦夷地開発に必要な建設資材や生活必需品の供給基地として繁栄しました。敦賀地区の主要な漁場となる若狭湾は、若狭湾と越前海岸の間に広がり、「若狭ぐじ」としてブランド化されている甘鯛をはじめ、多くの水産物が水揚げされる日本海側有数の好漁場として知られており、定置網、延縄、刺し網、一本釣り、採貝藻の沿岸漁業のほか、「敦賀ふぐ」や「敦賀マダイ」などの養殖漁業や沖合底曳き網漁が盛んに営まれてきました。しかしながら、全国的な例に違わず、同地区でも水産資源の減少、漁業者の高齢化と後継者不足、燃油の高騰など様々な問題の影響を受け、近年は厳しい状況に立たされています。こうした中、水産資源を増やすために漁場の整備や放流事業等に取り組んでいますが、成果として表れるまでには長い時間を要することから、近年は「地元住民に向けた地産地消のPR活動や漁家民宿でのブランド地魚の利用促進」、「新ブランド魚の確立」、「新幹線敦賀開業に伴う取り組み」等により強い漁業経営の基盤を築き、所得の向上に結びつく取り組みを積極的に推し進めています。[帝に捧げる魚]若狭地方(福井県嶺南地域)は、その昔、朝廷に食べ物を供することを許された特別な国『御食国(みけつくに)』と呼ばれていて、その中でも和の最高級食材として知られていたのが「若狭ぐじ(アカアマダイ)」です。水揚げされたアカママダイの全てが「若狭ぐじ」になるわけではなく、若狭湾で延縄漁・釣りで漁獲されたもののうち、重さが500g以上、鮮度が良く、姿形や色の美しいものだけが「若狭ぐじ」と認められ、厳選された「若狭ぐじ」は、魚体を傷つけないよう慎重に取り扱われ一尾ずつ、港の名前と捕獲した船の名前が入った専用ラベルが貼られ流通されます。[額に角のある人]諸説ある「敦賀」の地名の由来の一つに、日本書記に崇神天皇の時代に角の生えた人物が船でこの地を訪れたと書かれています。その人物は「都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)」で、敦賀は「都怒我阿羅斯等」が来た場所ということです。この人物は、任那(みなま)国からと言われていますが、任那は当時の朝鮮半島での日本の出先機関や在地の豪族が日本に臣従していた地域のような位置づけで任那日本府とも呼ばれていたと言われており、この「都怒我阿羅斯等」の額に角があったことから当地が「角額(つのぬか)」と呼ばれ、それが縮まって「角鹿(つのが)」となり、奈良時代の和銅6年(西暦713年)に「敦賀(つるが)」と改められたとのことです。敦賀市は、古くから天然の良港として知られ、大陸文化の玄関口として栄えた港町です。現在でも、港には外国のコンテナ船、高速フェリーが就航し、敦賀経由で人やものが運ばれてきます。また、原子力発電所などの発電施設が立地し、エネルギ-の供給都市としての性格ももっています。伝統的な産業としては、おぼろ昆布やかまぼこなど、海産物を利用した食品加工業が盛んで、おぼろ昆布のシェアは何と全国の約85%を占めています。 (敦賀市HPより)(敦賀水産卸売市場)(活気溢れる卸売場)(若狭ぐじ)人道の港敦賀ムゼウム晴明神社都怒我阿羅斯等の像142敦賀市公設地方卸売市場(福井県敦賀市)市場のある都市市場のある都市

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