水産物流通情報誌― 全水卸 VOL.407試し読み
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下関市は本州最西端部に突き出た半島状の地形で、東南に周防灘、西に響灘と海に面し、南は関門海峡を隔てて対岸の北九州市と、東は山陽小野田市、北は長門市と接しています。地勢は大部分が豊浦山系の支脈をなす山地と、標高100m以下の丘陵からなり、平地に乏しい起伏の多い地形で標高300m程度の山々が連なる丘陵地帯や山林地帯、平野地帯が存在する豊かな自然環境に恵まれた地勢となっています。また、本州と九州に加え大陸との接点でもある地理的条件から、交通の要所として古くから栄え、大正、昭和の時代の変遷とともに周辺の町村との合併を繰り返すことにより市勢を拡大してきましたが、平成17年2月に旧下関市と豊浦郡4町との新設合併が行われ、県下最大の新「下関市」が誕生しました。同市は関門海峡を隔てて九州と対峙し三方を海に囲まれるという地理的条件から、古くから水産都市として栄えてきました。その市街地に位置する下関漁港は「本港」と「南風泊分港」からなり、昭和35年に特定第3種漁港としての指定を受けています。「本港」にある下関漁港地方卸売市場は、古くは遠洋・沖合漁業の基地として栄え、現在では、アカムツ、アンコウ、カレイ、タイなどを中心とする沖合底びき網を主体とした沖合・沿岸漁業の基地へと移行しており、特にアンコウは水揚量日本一であることから、山口県は「下関漁港沖合底びき網漁業ブランド化協議会」を設立し、アンコウのブランド化に取り組んでいます。[高度衛生管理型市場へのリニューアル]下関漁港地方卸売市場は昭和17年の漁港完成と同時に下関市営の下関市中央卸売市場として業務を開始しましたが、市営の市場は昭和25年には閉鎖され、同年、民営の下関漁港市場が市場業務を開始、その後、昭和48年の漁港拡張工事完了に伴い、開設者を山口県に移行し、県営の公設卸売市場として運営されてきました。そうした中、近年の食品の安全に対する消費者意識の高まりに対応し、安心・安全な水産物を供給するため、令和3年5月に関連施設のさまざまな機能を集約し、高度衛生管理型荷さばき所を持つ新たな市場としてリニューアルされました。[下関の“フク”]下関を代表する味覚といえば「フグ」。福を招くよう下関では「フク」と呼ばれます。下関とフクの関係には長い歴史があります。市内の貝塚からフクの骨が見つかったことから、2000年以上前からフクが食べられていたことがわかっています。戦国時代に豊臣秀吉がフク食を禁じたのも、明治時代に総理大臣の伊藤博文がフク食を解禁したのも下関でした。平成28年10月に「下関ふく」の名称が地理的表示(GI)として国に登録され、品質においてもお墨付きを得ることとなりました。下関市は、関門海峡、周防灘、響灘と三方が海に開かれた自然と文化に恵まれた海峡と歴史のまちです。日本が武家社会へ転換する契機となった「源平壇之浦の合戦」や明治への大きな転換期の始まりとなった「下関四国艦隊砲撃事件(下関戦争)」が起こるなど、日本の歴史の節目に下関が登場してきました。また、市内には、武蔵・小次郎決闘の地「巌流島」や、維新の志士・高杉晋作挙兵の地「功山寺」といった歴史の舞台となった地も所在するほか、阪本龍馬が、終の棲家として居を構え、愛妻お龍と共に過ごすなど下関の地でさまざまな歴史が繰り広げられました。 (「下関市勢要覧」前田市長ごあいさつより抜粋)(下関漁港地方卸売市場の全景)(アンコウの水揚日本一)(場内の取引風景)[下関の水産業]関門海峡◇下関プロフィール巌流島赤間神社功山寺145下関漁港地方卸売市場(山口県下関市)市場のある都市市場のある都市

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